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語り継ぐ戦争<原爆>③

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  広島で催された腹話術の全国大会をきっかけに、ようやく16年前から被爆体験を語り始めた小谷孝子さん(80歳)。原爆症で苦しんだ姉の力強い励ましが、それまでのためらいを前向きな気持ちに変えました。
 技術面・精神面の不安から、なかなか一緒に話せなかった腹話術の人形「あっちゃん」とも、師匠の「亡くなった弟と話すように」というアドバイスで向き合えるようになり、千葉県庁での被爆証言を初めてコンビで挑戦。活動開始から実に7年が経っていました。
 以来、小谷さんは常にあっちゃんを連れて、各地を回っています。
 県庁で語った様子がテレビ・新聞で報道され、広く知られるようになった二人。それからは依頼が格段に増え、活動範囲も地元八千代市から県内各地へ拡大しました。
戦後70年の節目には、ほかの被爆者とともに非政府組織(NGO)「ピースボート」の船に乗り、世界各国を巡って証言。帰国すると、活躍の場はさらに都内、全国各地へと広がっていきます。
そして2017(平成29)年12月、ピースボートが国際運営団体を務める「ICAN」(核兵器廃絶国際キャンペーン/NGO)がノーベル平和賞を受賞した際は、小谷さんもそれを祝うツアーに参加してノルウェーへ行き、被爆証言を続ける決意を新たにしました。
 最終回は世界の放射能被害者と交流して感じたこと、被爆証言を通じて子どもたちに伝えたい思いなどを語っていただきます。
<全3回/最終回>
 
 
 
◆あっちゃんと地球一周ツアーへ
 
小谷さん   :あっちゃん、千葉県庁でお話した様子がテレビや新聞で紹介されて嬉しかったね。
 
あっちゃん:うん!
 
小谷さん   :あれから私たちのことが広く知れわたり、八千代市内の小中学校でも「平和学習」が盛んになりました。そうしたこともあって、依頼がぐんと増えたね。
 
あっちゃん:忙しくなったね。
 
小谷さん   :私たちは被爆証言以外にも、老人ホームや幼稚園・保育園などでボランティアをしています。これまでいろんなところへ行き、子どもからお年寄りまで、さまざまな人とお話したけど、あっちゃんは何が印象に残ってる?
 
あっちゃん:地球一周ツアーに参加したこと!
 
小谷さん   :そうね、あのツアーは世界中のお友達といっぱいお話して、とても刺激的だったね。今回は私たちが4年前に参加した、ピースボートの地球一周ツアーのお話から始めましょうか――。
 

 
千葉県庁であっちゃんと被爆体験を話した様子が報道されて以降、県内各地から依頼が届くようになりました。
また八千代市も報道をきっかけに、市内の小中学校に戦争や核兵器に関するアンケートを実施してくださり、「平和学習」を行う学校が増えました。こうした状況を背景に、それまで年に2〜3回だった活動回数が、県庁で証言した2010年は8回、11年は16回と着実に増加。あっちゃんと出歩く機会が多くなりました。
ちなみに私たちは被爆証言のほかにも、病院や老人施設、幼稚園・保育園で「笑顔のボランティア」を行っています。話す内容は、子どもたちには昔話や童話、高齢の方には落語をアレンジした楽しい話など。台本は自分で書いていて、ちゃんと“落ち”もあるんですよ(笑)。
友愛会(千葉県原爆被爆者の会)の活動も幼稚園勤務を退いてから本格的に開始し、忙しいながらも充実した日々を送っていました。そんなある日、高校時代の友人がピースボート1の「ヒバクシャ地球一周証言の航海」(おりづるプロジェクト)を紹介してくれました。広島や長崎の被爆者たちがピースボートの船に乗って、3カ月間、世界各国で原爆の恐ろしさを語り、核廃絶のメッセージを届ける活動です。
その友人はすでに何回か参加していて、
「あなたも一度行ってごらんなさい。語り部として船に乗り、世界の人たちに被爆した体験を語ってきなさい」
と、何度も熱心に勧めてきます。そのたびに私は「無理だわ」と断っていましたが、戦後70年の節目となる15年のツアーの内容を知り、気持ちが動きました。平和首長会議2に加盟する都市の学校を訪問し、子どもたちにメッセージを届けようというのです。
「子どもだったら、私にもできるかな……」
と思い、ようやく決心してツアーに応募。25人の中から8人が選ばれ、私もその一人となりました。
 航海は4月12日から7月25日までの105日間で、訪れたのは世界18カ国の23都市。そのうち、インド、フランス、ノルウェー、パナマ、グアテマラの5都市であっちゃんと被爆体験を語りました。

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  ▲上:証言の航海 出発前、左:ノーベル博物館にて(スウェーデン)、右上:イーペルのカナダ兵慰霊の塔にて(ベルギー)
右下:平和のメッセージを手にする学生と(フランス)

どの国の生徒さんも熱心に耳を傾けてくれて、話の後に必ず「原爆を落としたアメリカを恨んでいない?」という質問が出ました。
確かに「もし、原爆が落ちていなかったら」と思うことは、数えきれないほどあります。母や弟が生きていたかもしれない。祖母や姉、兄も原爆症で苦しむことはなかった……。でも、私たちは恨みをいいに来たのではないことを伝え、「恨みからは何も生まれません」「二度と同じ過ちを繰り返さないでほしい」「みなさんで核兵器のない世界にしましょう」と呼びかけました。
そうしたら、生徒さんたちもよく理解しくれて、「核兵器の怖さを初めて知りました。僕たちの時代で核兵器をなくすように頑張ります」という力強い言葉をもらいました。嬉しかったですね(笑)。
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   ▲右上:スペイン語字幕をバックにあっちゃんと証言する小谷さん、左上:真剣に証言を聞くスウェーデンの高校生、
左下:証言後、学生たちと話す被爆者(スペイン)、右下:学生たちとの記念写真(スペイン)


※1 ピースボート
 1983年に設立された日本のNGO。あるいは同団体が主催する船舶旅行の名称。当初はアジアを巡るクルーズが主体だったが、1990年以降より世界各地を回る「地球一周の船旅」を頻繁に実施している。世界中の市民と交流するにあたり、平和や核、紛争、人権、貧困、環境など、地球上が抱える重大な問題をテーマに扱う。

       ピースボート船
                        ▲現在使用中の「オーシャンドリーム号」(wikipediaより)
 
※2 平和首長会議(へいわしゅちょうかいぎ)
 核兵器廃絶に賛同する世界の地方自治体で構成される国際機構(本部:日本・広島市)。1982年、当時の広島市長・荒木武氏の呼び掛けにより設立された。役員都市は27都市で、会長都市は広島市。副会長都市は長崎市など13都市。核兵器廃絶のほか、飢餓、貧困、難民、人権、環境等の問題も連携して市民意識を喚起し、世界恒久平和に寄与することを目的としている。

 
 
◆ICANのノーベル平和賞を祝い、オスロへ
 
小谷さん   :ピースボートの地球一周ツアーから戻ってくると、八千代市が市民会館で報告会を開いてくださいました。
 
あっちゃん:応援してくれたみなさん、ありがとう!
 
小谷さん   :実は出発前、市内の中学校の生徒さんたちから「僕たちのメッセージを世界の友達に届けてください」と、カード900枚を預かりました。それを一緒に航海した被爆者8人とともに、訪問先の生徒さん一人ひとりに手渡したら、みんな「宝物にします」って、とても喜んでくれました。
 
あっちゃん:嬉しかったね。
 
小谷さん   :報告会は地球一周ツアーの話以外にも、中学生の生徒さんが『私たちの思い』と題した詩を市民の方々の前で朗読したり、メッセージカードの制作エピソードを明かしたりなど、とても素敵な催しになりました。
 
あっちゃん:盛り上がったね!
 
小谷さん   :その後、私たちの活動はさらに忙しくなり、15年の証言回数は43回、16年は31回に及びました。また、ピースボートを通じて東京の学校からの依頼も増え、学校での証言は年間約30校を数えるようになりました。
 
あっちゃん:すごい!
 
小谷さん   : 16年には再びピースボートの「広島・長崎・韓国のショートクルーズ(9日間)」に参加。そして17年、ICANがノーベル平和賞を受賞し、それを祝うイベントで私はノルウェーのオスロに行くことになります。
 
あっちゃん:今回、僕はお留守番。オスロ、行きたかった!
 

 
核兵器の非人道性に関する国際世論の高まりを受け、17(平成29)年3月にニューヨークの国連本部で「核兵器禁止条約の交渉会議」が開かれました。そして7月、国連が核兵器禁止条約を採択。ヒロシマ・ナガサキの声が、ついに世界のルールとして実を結んだのです。
その主導的役割を果たしたことが評価され、ICAN3がノーベル平和賞を受賞することになりました。ピースボートはICANの国際運営団体の一つなので、さっそく受賞を祝うイベントを計画。被爆者がノルウェーに行き、12月10日の授与式を見守るツアーを企画しました。
ツアー参加者は被爆者20人と二世6人、家族4人、それにスタッフ4人を加えた計34人。高齢で体の不自由な被爆者の方もいらしたので、二世の息子さんや娘さんたちなどが同行しました。あっちゃんは今回、お留守番です。
出発は12月7日。22時に成田を発ち、授与式が行われるノルウェーの首都オスロへ。現地では、9日に世界のメディアやカザフスタンの放射能被害者4の方と交流。また同日、オスロ大学に被爆樹木の種4種類(イチヨウ、クロガネモチ、エノキ、ナツメ)を贈り、贈呈式には広島市の松井一實市長、長崎市の田上富久市長も参加されました。お二人はノーベル平和賞の授与式5に出席するため、現地にいらしていたのです。被爆樹木の種は、芽が出たらオスロ大学の植物園に植えられるとのこと。大学関係者の方が「ぜひ、日本から成長を見に来てください」と、おっしゃってくださいました。
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   ▲世界のメディアと被爆者及びカザフスタンの放射能被害者(右上の丸枠写真)が交流


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▲オスロ大学で種植え。左から二人目が田上長崎市長、隣が松井広島市長
そして迎えた10日、いよいよICANにノーベル平和賞が授与される日です。当日は授与式の会場であるオスロ市庁舎前にあるノーベル平和センターのパブリックビューイングで、日本の被爆者とICANのメンバー約200人がその瞬間を見守りました。式ではICANのベアトリス・フィン事務局長とともに、被爆者を代表してカナダ在住のサーロー節子さん(広島で被爆)が演説。
「核兵器は人類と共存できない。私たちが愛しているすべてのものを危険にさらす。世界の安全を維持するための核抑止論を唱える国もあるが、核兵器は“必要悪”ではなく“絶対悪”だ」
と核兵器廃絶を強く訴えました。私たちはもう、大感激。みんな立ち上がって手をつなぎ、感動を表しました。
授与式後は、オスロ駅からグランドホテルまでの1000メートルを2000人がパレード。ホテルにはサーロー節子さんたちが宿泊されていて、バルコニーからパレードした人たちと対面しました。

 翌11日も受賞関連イベントとして、平和コンサートがオスロ・スペクトラム(オスロ市内の多目的ホール)で開催され、2万人が来場。会場には広島で被爆したピアノが持ち込まれて、惨禍に遭ったとは思えない美しい音色を響かせました。
その途中、司会者の方が「核兵器禁止条約に署名していない国がある。それは“核の傘”にいる国々で、ノルウェーもそうだ」と話す場面が。すると、会場からそれらの国々に対する大ブーイングが起きました。2万人もの人々がいっせいにブーイングしたものだから、それはもう、すごかったです(笑)。
日本にいると、「自分たちだけが被爆者だ」という思いがありましたけど、でも、世界中には水爆実験の被害者とか、劣化ウラン弾の被害者など、放射能の被害に遭われた人たちが大勢います。そうした方々が立ち上がり、手をつないで、核兵器のない世界にしょうと力強く訴えている。そのことが、すごく心の支えになり、勇気をもらいました。感動しました、本当に。 
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※3 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)
 核兵器廃絶のために活動する世界のNGOの連合体。2007年、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)を母体に設立され、スイスのジュネーブに国際事務局を置く。2017年10月現在、101カ国から468団体が参加。
 
※4 カザフスタンの放射能被害者
 カザフスタン共和国の北東部には、旧ソ連のセミパラチンスク核実験場があった。1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験が行われたという。ソ連崩壊により1991年に閉鎖。市民の被爆の影響はソ連によって隠蔽され、閉鎖まで明らかにされることはなかった。実験場からの放射性降下物により、約20万人もの住民がガンなどの健康被害を受けたとみられる。
 
※5 ICANのノーベル平和賞授与式 日本側参加者
 ICANのノーベル平和賞授与式の日本側参加者は、広島市の松井一實市長、長崎市の田上富久市長、日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳代表、同・藤森俊希事務局次長、ピースボート共同代表でICAN国際運営委員の川崎哲氏。
 
 
 
◆本当の平和をもたらすのは…
 
小谷さん   :私がオスロから帰ってくると、また一段と忙しくなったね、あっちゃん。
 
あっちゃん:うん。
 
小谷さん   :国連で核兵器禁止条約が採択され、ICANが平和賞を受賞したことで世間の関心も高まり、大人の方からの研修会やイベントでの証言依頼が頻繁に届くようになりました。その結果、17年の活動回数は33回、そして18年は65回。一気に倍増しました。
 
あっちゃん:大変だけど、嬉しい!
 
小谷さん   :原爆投下から74年が経ち、戦争を知る世代が年々少なくなってきました。学校でも団塊世代の先生方が退職されて、教職員のみなさんの年齢層が一気に若くなった感じがしています。
 
あっちゃん:そうだね。
 
小谷さん   : 5月には「令和」という新しい元号になり、昭和の時代がますます遠くなります。でも、戦争や原爆の惨禍を過去の話にしてはいけません。今でも世界中に1万5000発以上もの核兵器があります。
 
あっちゃん:そうだね。
 
小谷さん   :それが一発でも使われたら大変です。新しい時代を担う若い人たちに本当の平和は何か、何がもたらすのか、それを問いかけながら、あっちゃんとこれからも被爆体験を語り続けていく決意です。


 
「腹話術は人生を変えてくれるよ」とは、腹話術の師匠の言葉。確かにそうだなあと思っています。
戦後、ずっと夢中で生きてきました。それが、この年齢になって新たな道を見つけ、弟の分身である「あっちゃん」と一緒に歩んでいます。そして、世界中の人たちと触れ合い、あらゆる人の幸せを考えられるようになりました。このような素敵な人生が送れて、今、とても感謝しています。
私の人生に大きな影響を与えた師匠は、3年前に他界しました。
母を亡くしてから、私たち兄弟の面倒みてくれた祖母は88歳の天寿をまっとう。兄は80歳で亡くなりましたが、脳に刺さった小さいガラス片のため、最後の10年間は脳梗塞を患いました。
姉は結婚して4人の子どもに恵まれ、今も元気に暮らしています。私の大切な存在、心の支えです。
 
被爆証言の依頼は、新聞やテレビ、ラジオで見たり聞いたりしてくださった方から、直接いただくケースが多いです。あとは友愛会からの依頼が全体の3分の1を占めている状況ですね。
ラジオについては、オスロから戻った翌年の3月、NHKの『ラジオ深夜便』に出演しました。その放送の反響が結構あり、多くの方からご連絡をいただいています。
病院や老人施設、幼稚園・保育園での「笑顔のボランティア」は現在、年間平均で60~80カ所をこなしています。そうした中で被爆証言の活動を継続していくことは、やはり体力的にきついですね(笑)。
でも、学校で証言した後、子どもたちの純真で素直な感想を聞かせてもらったとき、元気と勇気をもらい、「また頑張ろう!」「この子たちを守るために語り続けていこう」とファイトが湧きます。
 
子どもたちの反応で、特に印象に残っている出来事があります。
北朝鮮が日本海にミサイルを何発も打ち込み、身近に危険を感じていたときのこと。小学校で語った後、6年生の男の子が、
「僕は昨日まで、北朝鮮をどっかの国がやっつけたらいいのにと思っていました。だけど今日話を聞いて、武器に対して武器で応戦するのは間違いだとわかりました。やっぱり話し合いが大切なんですね」
と、いってくれたんです。そして、「北朝鮮にも僕たちのような子どもがいて、子どもが犠牲になるんですよね」って。
その感想を聞いた50代の男性の担任教諭が、「先生も戦争を知らない。どのように教えていいか、正直わからなかった。でも、よく学んでくれた」と、ぽろぽろ涙を流されたんです。その光景をみて、「ああ、私たちの活動は意義があるんだな」と深く感じました。
 
本当の平和は、武器ではなく、“心”によってもたらされると思います。そのことを子どもたちに、もっともっと語り継いでいきたい。そして、私たちから聞いた話を一人でも、一言でもいいから伝えていってほしい。それが私たち被爆者の願いなんです。
このような証言活動は小さな種まきですけども、これからも一生懸命頑張っていくつもりです。残り少ない人生。年齢のことは考えず、命が尽きるまで一日一日、語り続けていきたいですね(笑)。


 
小谷さん   :3回にわたった私たちの特集も終わりです。あっちゃん、ちょっと寂しいね。
 
あっちゃん:うん。
 
小谷さん   :このサイトでのお話は終わりますが、世界中にはまだまだ戦争が絶えません。争いが絶えません。私が幼い頃体験した辛い思いを、これからを生きる子どもたち、若い人たちに経験してほしくありません。だから、これからもあっちゃんと一緒に語り続けていきます。
 
あっちゃん:頑張ろうね!
 
小谷さん   :あっちゃん、最後にね、このサイトをご覧の方々に、被爆者の方が書いた詩を短く紹介しましょう。
 
あっちゃん:はい!
 
小谷さん   :  広島、長崎を訪れた人、
  アスファルトの上をそっと歩いてください。
  この下で、たくさんの人が死んでいったのです――
 
     みなさん、有難うございました。
 
あっちゃん:ありがとー!
 
 
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                ➣➣➣     ➢➢➢     ➣➣➣

  
笑顔で明るく、はきはきと話す小谷さん。幼稚園の先生をされていただけあって、人を惹きつけ、話の世界へどんどん誘う力をお持ちです。その小谷さんが証言する際、常に心掛けているのは、子どもたち全員の顔や目をみること。下を向かれると、「話が通じていないのでは」と責任を感じるそうです。それだけに、心を込めて子どもたちと向き合ったとき、子どもたちもこっちを向いてくれると、「有難いな」と嬉しくなるとか。
戦争や原爆の恐ろしさ、悲惨を話す一方、普通の生活がいかに尊いかも伝えている小谷さん。「朝起きて、お母さんがご飯をつくってくれる。家族がいて、みんなで食事をして、学校に行ったら友達がいて、勉強もできる。そういう平凡で当たり前な生活を大切にしていってほしい」と語ります。
終戦から74年が経ち、子どもたちや若い世代の人たちが戦争を体験した方々から、生々しい実情を聞く機会が少なくなってきました。しかし、「人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めたとき、再び重大な過ちを犯す」と、広島市の松井市長は訴えます(平成30年「平和宣言」にて)。本サイトではこれからも、戦争の実相を後世に伝えるべく奮闘するシニアに注目し、レポートしていく方針です。



「戦争を語り継ぐ<原爆>③」おわり/次回は本サイトですっかりお馴染み、
経営支援NPOクラブが支援する女性演奏家グループを紹介します)
 
 
 <千葉県原爆被爆者 友愛会>
「千葉県原爆被爆者 友愛会」は千葉県在住の生存「広島原爆被爆者」「長崎原爆被爆者」およびその二世を会員とし、会の活動に理解ある方々を賛助会員とする、無宗教、無政党での核兵器廃絶を願う平和団体です。
・全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(略称:日本被団協)」傘下団体
・通称:「友愛会」または「千葉県友愛会」
 
所在地:千葉市稲毛区轟町1-4-23 ラハイナハウスⅡ-101号室
 TELFAX043-253-7768
 e-Mailyuaikai@oasis.plala.or.jp



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