心の健康を探る②
- 2019/03/05
- 12:00
1982年、鳥取県の泊村で産声をあげたグラウンド・ゴルフ。翌年には日本グラウンド・ゴルフ協会(以下「日本協会」)が設立され、初代会長にオリンピック金メダリストの南部忠平先生が就任します。そして、大阪体育大学名誉教授の細川磐先生を始めとする学識経験者も集い、グラウンド・ゴルフの本格的な普及振興が推し進められました。
そうした取り組みを強力にサポートし、グラウンド・ゴルフの発展に寄与したのが日本協会の初代事務局長、戸塚眞佐子さんです。
1994年、社団法人としてスタートを切った日本協会は、会員急増で直面するさまざまな課題を克服しつつ、ルールの整備や指導者の育成、また広報活動等にも注力し、隆盛を極めていきます。
それを見届けるように2004年春、定年を迎え日本協会を離れることになった戸塚さん。引き続き「誰かのために頑張ろう!」と意欲的な日々を過ごしていましたが、ある日突然、思いもしない病にかかりました。生死に関わる深刻な体験を経て達した境地とは?
今回は戸塚さんの日本協会退職後の日々、大病体験、人生観などを中心に語っていただきます。
<全2回/最終回 ※関連記事:「グラウンド・ゴルフの魅力を探ろう!」(①2018.6.7、②2018.6.15、③2018.6.26公開)>
◆会員急増で浮上したさまざまな課題
1994年11月に社団法人の認可を受けた日本グラウンド・ゴルフ協会。さらなる普及に向け、ルールの整備や指導者の養成などに注力するかたわら、国際交流事業も積極的に展開しはじめました。また、事務所も日本スポーツの殿堂・岸記念体育会館に移転し、99年には会員数がついに10万人を突破します。しかし一方で、会員のエチケットやマナー、怪我・事故などが戸塚さんたちを悩ませました。
社団法人の認可を受けた翌年(95年)の3月、日本グラウンド・ゴルフ協会(以下「日本協会」)は日本体育協会(現日本スポーツ協会)の正式加盟団体として承認され、ルール関係や指導者育成、広報活動などの委員会を整備・設置しました。
そして4月、事務所を岸記念体育会館(東京・渋谷区)に移転します。嬉しかったな。日本協会発足間もない頃、段ボール1個ほどの荷物で“岸体”を離れ、竹下通りの小さな事務所に引っ越しましたが(※前回記事を参照)、あれから10年後、荷物も2トントラック2台分に増え、堂々と凱旋したのですから。万感の思いがしました。南部先生はじめ、諸先生のご尽力のおかげです。
96年には普及用ビデオ『楽しいグラウンド・ゴルフ』を制作し、ナレーションはNHKアナウンサーの加賀美幸子さんに依頼しました。テレビの司会では、心に染み渡るような温かな声が印象的な加賀美さん。私もファンの一人。だから、お会いしたときは感激しました。
普及ビデオは何本か制作し、4本目まで加賀美さんにお願いしました。それ以来、加賀美さんとはプライベートでお付き合いしており、素敵な縁に恵まれたと神さまに感謝しています。
ほかにもグラウンド・ゴルフを通じて親しくなった著名人の方には、コント赤信号の小宮孝泰さんがいます。確か85年頃、日本テレビの番組でグラウンド・ゴルフが取り上げられ、小宮さんと一緒に代々木公園でプレーしたんです。そうしたら小宮さん、すごく下手っぴぃなの(笑)。だけど、それで親近感が湧いて仲良しになりました。今も連絡を取り合ってお食事したり、芝居を観に行ったりしています。
全国グラウンド・ゴルフ交歓大会は回を重ねるごとに活況を呈し、特に99年の京都府舞鶴市での第12回大会は、舞鶴市や海上自衛隊の全面的な協力を得て盛大に行われました。会場は舞鶴基地のグラウンド。開会式では高級幹部の海将が挨拶し、戦時中に元海軍だった会員さんたちは一様に「信じられない!」と驚いていました。
大会中は施設のトイレが自由に使えて、舞鶴港のクルージングも楽しませてくれました。天気もよく、みなさん、いい思い出になったんじゃないかな。
また、日本協会では創立10周年を記念し、93年から国際交流事業を開始しました。初回は12月にオーストラリアを訪問。期間は1週間で、参加者は70人でした。以降、ニュージーランドやハワイ、ブラジル、アルゼンチン、サイパン、中国などに訪れ交流の輪を広げました。
会員の数は順調に増え、99年にはついに10万人を突破します。でも一方で、会員のエチケットやマナー、怪我・事故など緊急時の対応が課題になってきました。例えばエチケットやマナーだと、みんなと仲良くグラウンド・ゴルフを楽しむことよりも、勝敗にこだわり、一緒にコースを回っている人たちを不快にさせるとか。とんでもないケースだと、水筒にお酒を入れて、プレー中に飲む人もいました。
プレー中の怪我や熱中症などで緊急搬送されるのは仕方ないですが、ホテルでお酒を飲んで酔っ払い、大怪我して夜間病院に駆け込むなんて事故が起きたときの気の滅入り様は、なんともいえませんね。たぶん、今、いろんな生涯スポーツ団体が例として挙げる緊急時トラブルのほとんどを、グラウンド・ゴルフが先んじてやったんじゃないかな(笑)。だから大会が終わったとき、「みんなの安全が守られた」と、心からホッとすることが次第に多くなりました。
こうした経験から、医療機関との連携や緊急時の基本的な対応などのハウツーが蓄積され、同時にエチケット・マナーを守るグラウンド・ゴルフの文化も築かれていったと思います。
▲千葉市での大会風景(2018年10月28日)
◆新天地へ、そして思いがけない試練
2004年3月末、戸塚さんは定年を迎え日本協会を退職しますが、引き続きエッセイの執筆、保育園勤務など新しい世界に意欲的に挑み、溌剌と毎日を過ごしていました。その原動力になっているのは、幼い頃から抱く“誰かの役に立ちたい”という想い。グラウンド・ゴルフで学んだ経験も生かそうと、さらに意欲を燃やしますが、思いがけない試練が待ち構えていました。
日本協会を退職したとき、やはり寂しかったです。発足当初から、ずっと関わってきましたから。でも、前年(03年)に会員数が14万5000人を超え、やり遂げたという満足感はありました。
それに仕事を通じて親しくなった方々が全国にたくさんいて、大会にも呼んでくださるから、グラウンド・ゴルフとまったく縁が切れたわけではありません。これまで、人生のほとんどを日本協会の仕事に捧げてきたので、少しほかの世界に飛び込んでみようと、退職する前から行動的になっていました。
例えば加賀美さんの紹介で、全国労働保険事務組合連合会の機関誌にエッセイを連載したことがあるんですよ。期間は03年5月から05年5月までの2年間。お話をいただいたとき、加賀美さんはすでにNHKを定年退職されていて、フリーのアナウンサーとして活躍される一方、千葉市女性センターの館長に就任されていました。
エッセイの連載は、ひょんなことで決まったんです。ある日、加賀美さんと仕事や人生の話をしていて、「文章書くの、好きですか?」と聞かれ、反射的に「はい!」と即答。それでエッセイを書くことに(笑)。「なんて図々しい返事をしてしまったのか」とすぐ反省しましたが、生涯の記念になる貴重な経験をさせてもらいました。
仕事の方は、ハローワークで保育園の補助業務を紹介されました。「あなたは前職で偉い肩書を持っていたけど、人と触れ合う仕事に向いている」なんていわれて(笑)。具体的には、子どもたちが使う部屋の掃除や砂場の整備、遣り水などのお仕事です。
早朝に保育園へ行き、子どもたちの来園までに一連の作業を終えるのは結構大変でしたが、何の屈託もなく笑い、おもちゃを手にして遊ぶ子どもたちの表情は何時間見ていても楽しい! 子育ての経験がなく、子どもの世界とは無縁だった私に、人生のパワーをいっぱいくれました。
保育園の仕事にやり甲斐を感じ、その後2カ所かけもちで働いていましたが、ある日、体調に異変を感じて病院に行きました。すると、診断結果は「子宮頸ガン」。11年のことです。すでにリンパにも転移していてステージ2の上の状態とか。目の前が真っ暗になりました。
失意の中、保育園の仕事を辞めて手術し、治療に専念。放射線と抗がん剤の治療は本当に苦しかった。担当医の先生に何度も「死にたい」と弱音をこぼしました。それでも先生は根気よく支えてくれて……。
「私、生きていられますか?」「私、これからも人のために頑張れますか?」って、先生によく尋ねました。「あなたは明るいから大丈夫だよ」。この先生の励ましが私に気力を与え、どうにか辛い治療を耐え抜くことができました。
今、私に巣くったガンは全部消えています。でも、安心するには10年スパンでみなければいけないそうです。
あと2年、絶対頑張る!
◆自分の存在が誰かのためにありますように
難病を乗り越え、社会復帰を果たした戸塚さん。現在、葛飾区の特別養護施設でボランティアに励んでいます。ちぎり絵教室の講師を務めたり、ピアノコンサートを開いたりと、相変わらず忙しくも充実した日々。ふと、多くの人と出会い、支えられてきた人生を振り返ることが多くなったそうです。「自分の存在が誰かのためにあるなら幸せ」。今、この世に生を受け、生かされている意味に思いを巡らしています。
特養でのボランティアは週2日ほど。ちぎり絵教室の講師を務めているほか、みんなで歌うピアノコンサートも開いています。幼い頃からずっと抱いてきた「誰かのために頑張りたい!」という想い。今、ようやく叶った感じがしています。
ちぎり絵は、大人になってから始めた趣味です。定期的に作品展を開いていたら、地元の葛飾区からここの施設(特養)で、ちぎり絵の講師をやってほしいと依頼が来まして。教室では、私が描いた動物や花などの下絵に、ちぎった紙を貼ってもらいます。みなさん、とても熱心で、楽しそうに作業されるんですよ。
でも、ちぎり絵をしている間は下を向くことが多いから、やはり精神的によくありません。そこで、ちぎり絵教室の参加者を対象に、ピアノ伴奏に合わせて歌うコンサートを月2回ほど開催するようになりました。ピアノは中学生の3年間習っていました。だから、うん十年ぶりに弾くようになったわけで、腕前は……察して(笑)。
弾く曲は童謡や唱歌が中心。例えば「赤とんぼ」や「里の秋」、「冬景色」とか。「千曲川」「知床旅情」といった演歌、フォークソングもレパートリーに入れています。ラストは童謡の「故郷」と、坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」がいつものパターン。みなさん元気よく、楽しそうに歌ってくれます。そして、コンサートが終わったら、みんな笑顔! やっぱり笑顔にならないと、心もカラダも元気になれませんよね!
ピアノコンサートは段々と評判になり、今は施設のみなさんが自由に参加しています。もちろん、職員の方々も協力してくださって、とても楽しいイベントになっているんですよ。
私って結構、笑顔を褒められるんです。グラウンド・ゴルフの仕事で各地の大会に訪れたとき、ニコッと笑った瞬間に「戸塚さん、笑顔いいね!」なんて、会員のみなさんによくいわれました。特養のボランティアでも、たまたま玄関で会った人にニコって会釈したら、後日その人と再び会い、「あなたの笑顔を見て、ここに主人を預けることにしました」といってくれました。何が人の心を温かくするかわかりませんね。
“笑顔”って、あくまでも自然体の中から生まれるものではないかと、私はよく考えます。そして、そうした自然体は人の「優しさ」「思いやり」を敏感に感じ取れる感受性があってこそ、培われていくのではないでしょうか。
私は人生の節目々々で、よい影響を与えてくれる人たちと出会えました。南部先生や細川先生など日本協会草創期の先生方、加賀美さん、小宮さん、全国のグラウンド・ゴルフ愛好者の方々。特養の職員・入居者・利用者の方々。そして父、母──。素敵な出会いは、お互い心にピーンと響く。みなさんからいただいた感動は、私の乏しい感性を磨くきっかけをくれました。私は本当に人に恵まれています。
最近、自分がこの世に生を受け、生かされている意味について思いを巡らすことが多くなりました。山あり、谷あり、小さな波から大きな波まで押し寄せて、どうしようかと思うことが、これまでの人生で幾度となくありました。それを乗り越えることができたのは、多くの人の支えがあったから。「一人では生きていけない」と、つくづく思っています。
私に人生の範を示してくださった南部先生。最後のお別れのとき、不思議な体験をしました。ちょうど阪神・淡路大震災が起こる2日前、大阪で入院中の先生を見舞い、その夜、神戸に泊まったのですが、本当は地震が起きる1月17日に予定していました。日本協会のある先生が「早く見舞いに行くといいよ」と助言してくださって計画を早め、被災を免れました。そのことが未だ私の胸にあり、ずっと忘れられません。私が果たさなければならない役割がまだある。それを全うするようにと、南部先生に最後の教えを受けたような気がしています。
ガンという病気も経て、今、私は生きています。いろんな人の支えによって、生かしていただいています。そのことを忘れず、常に人に対して「優しさ」や「思いやり」を持ち、与えられた人生に感謝しながら歩んでいきたい。そして、これまで受けてきた恩恵のすべてをこの世に返して、笑って天に昇っていきたいですね。
どうか、私の存在が誰かのためにありますように──。
▲南部先生と一緒に
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本サイトを運営するオフィスなかおかは、かつて日本グラウンド・ゴルフ協会の機関紙の編集制作をしていました。期間は2004年4月から2013年1月まで。つまり、戸塚さんとはちょうど入れ違いで、日本協会の仕事に携わったことになります。
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日本協会の取材で全国各地の大会に行くたび、よく会員の方々から「戸塚さんはお元気ですか?」と尋ねられました。もちろん、お会いしたことがないので、幾度となく返事に窮したのを覚えています。
その伝説の戸塚さんとお近づきなれたのは昨年2月、長野県松本市で開かれた長野県グラウンド・ゴルフ協会の30周年記念式典の折です。噂通り、笑顔が素敵で明るく、人懐っこい人柄に、私もすぐファンになりました。
戸塚さんを取材して印象的だったのは、これまで関わってきた人に対する感謝の言葉を何度も口にされること。周囲を和ませる賑やかさや愛嬌とともに、常に謙虚で気遣いのできる細やかさも戸塚さんの魅力だと感じました。
グラウンド・ゴルフの現状については、「少し競技志向に走っている人が多いのでは」とぽつり。「日本協会初期の頃の先生方、そして会員の方々が本当に身につけていたのが“温かさ”。技術が下手な人に対しても、優しさと思いやりを持って接し、グラウンド・ゴルフを思いっきり楽しんでほしい」と語ります。
「人生100年時代」といわれる昨今、シニアの健康維持・増進を目的に生涯スポーツの注目度が高まってきました。しかし、カラダの健康だけでなく、心の健やかさを保つことも大切なのはいうまでもありません。かの哲学者プラトンも、「魂とカラダの両方を鍛えることによって、人は完璧な存在となる」という金言を残しています。
生涯スポーツは、多くの人たちと気軽に触れ合え、人と人の心を結びつけることができるのが魅力。勝ち負けにこだわらず、人への「優しさ」「思いやり」を持って楽しみましょう!
最後に──。今回の特集では日本グラウンド・ゴルフ協会の歴史等の点で、大阪体育大学名誉教授の細川磐先生に監修をしていただきました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
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